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ミュージカル『SMOKE』感想

ミュージカル『SMOKE』を観劇するにあたり、中学生時代の修学旅行ぶりに浅草に行きました。日曜日だったというのもあってか、とにかく人であふれかえっていて、プチ観光どころではなく、早々に仲見世から外れ浅草寺に寄ることはありませんでした。せっかくの遠征なので、毎度毎度観劇だけでなく、観光らしいこともしてみようと思うのですが、趣味を観劇・ライブとしているのにもかかわらず、人込み苦手なのでなかなか上手くいきません……笑 まあ、雷門は通れたので良しとします。

 

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ミュージカル『SMOKE』

PRODUCED BY SOO RO KIM & MIN JONG KIM
MUSIC BY SOO HYUN HUH
BOOK & DIRECTED BY JUNG HWA CHOO

演出:JUNG HWA CHOO
訳詞:森雪之丞
振付:BYUNG JIN KIM

 

「超」役:石井一彰さん 「海」役:LEI'OHさん 「紅」役:入絵加奈子さんの回で観劇。 劇場は浅草九劇。約二か月のロングラン公演&様々なキャスト組み合わせで上演されています。昨年ミュージカル『ダーウィン・ヤング』*1を観劇してから、石井一彰さんが気になったので、この回を選びました。それにしても、このメンツを50人も入らないぐらいの客席で、臨場感マシマシの距離で見るのは贅沢というより、もはや怖かったです笑

 

没入感が没入感を遮るというジレンマ

はじめに注釈を入れると、物語の咀嚼ができていません。もはや毎度ながらという感じがありますが、軽めの感想になります。しかし今回ばかりは「初見だから」に加え、「あまりにも距離が近すぎて驚きに気を取られ、物語どころではなかったこと」があります。A列だったので、少しでも足を伸ばそうものなら役者にあたりそうという位置。いつも以上に姿勢をよくしなければと、非常に気を張っていた気がします。それぐらいの距離感だったので、とある場面で役者さんの息がかかるという……しかもお目当ての石井さん……4DX観劇……

まるで同じ場所にいるような臨場感や緊迫感を味わえるという点では、ややアトラクションみのある没入感が得られましたが、物語を吟味し抽象的な言葉の一つ一つを汲み取りながら作品を楽しむ没入感までは達することができませんでした。人間、そこまで器用にはいられないよね……だからこそ、「当日券・当日引換券価格変動制」やリピーター特典など充実させて、何回でも観劇できるような仕組みが整っているのは親切設計だとは思いますが……遠征民ははじめからリピートするつもりじゃない限りは該当しないので、歯がゆいですね。気軽にリピートできる環境にあれば、いろんな役者さんの組み合わせで見てみたかったですし、円形客席だったので、別角度から見る光景とかも知ってみたかったです。コンスタントに再演されてるイメージあるので、これは次の機会の楽しみにしますかね。

 

けむりのように

再度言いますが、物語についてはもう2回は見て整理したい。いや2回見たところで納得のいく感想文が出来上がるかわからないけど。  

天才詩人と言われながら、27歳の若さで、異国の魔都・東京で亡くなった、韓国人詩人、 李箱(イ・サン)の作品、「烏瞰図 詩第15号」にインスパイアされクリエイトされたミュージカル「SMOKE」。 天才詩人の詩と美しい音楽が出会い、誰も想像できなかった物語が繰り広げられる。*2

本作は上記の経緯で作られたミュージカル。「実在した韓国人詩人・李箱の作品にインスパイア」とされているが、李箱の半生を語る作品といっても過言ではないような内容であった(聞き間違いでなければ、李箱の本名が出ていたと思う)。つまり、固有名詞も実際の出来事と同じような場面も含まれており、私のファーストインプレッションは「日本で日本人がこの作品を上演するのか」という非常にデリケートな部分への気づきでした。しかし、韓国のオリジナルクリエイターらがそのまま起用されているということで、上演までに役者陣と演出家で李箱について勉強会を行っていたとパンフレットにも記載されていたので、あえてオリジナルのまま日本で上演することに意義を持たせているのだろうと感じました。……となれば、より試されるのは観客側。感想の発信とは作品の意図をきちんと汲んだ上でのものだと思いますので、やはり難しい。なんというか、所謂、役者の表面上の部分だけ切り取った感想すらも野暮な気がする。

序盤、まるで昨年熱狂的に見ていた『スリル・ミー』*3を思い出させるような、対照的な青年二人の誘拐場面から始まる。ちなみに冒頭『スリル・ミー』みたいだなと思うのと同時に、『スリル・ミー』だったらこの距離感での観劇は耐えられないと思うなどした。しかし、『スリル・ミー』と違うのは、すべて「海」の精神世界の一場面で、「超」と「紅」は「海」を構成する人格の一面だということ。この世界観そのものが、李箱が天才と称されるがゆえに、他からの理解を得られない部分を創作したものだと感じた。

(以下、劇中の言葉と違っていたら申し訳ない)「超」は「海」の鏡のような存在であり、超越する者。詩人である「海」の部分。「紅」は「海」が塞ぎ込んでいた愛や憎しみなどの感情の部分。「海」が海に行くためのチケット。一方、「海」は海を描きたいが海を知らない画家の青年。「超」と「紅」が自分にとっての何者か、アイデンティティの獲得への終着といった話でもあったと思うのだが、やはりこうやって整理しようと試みてもいまいちまとまっていない。悲しい。忘れないために章立てを「けむりのように」としてみたが、けむりが何を象徴していたかいまいち覚えていない。「けむりのような私」であったような気がするのだが。そして、これは妄想レベルのものなのだが、最後に「海」がキセルを吸って、白い煙を吐いて終わりだったが、「超」と「紅」が「海」を構成する人間ではない者(「けむりのような私」)だったからこそ、最後に「海」の体内からけむりとして表象されるとかかなあなど。

 

そうは言っても、多くの解釈を可能にさせる作品

実在の人物をモデルにしている反面、多くの解釈を可能にしている面を持ち合わせているのが本作の面白いところだと感じた。『スリル・ミー』は史実をもとにしているが、日本版では固有名詞を排除することで、抽象度を上げ、史実に限定させない解釈を可能にしている点で、『SMOKE』とは違ったタイプだなと振り返った。 一番に感じたのが「紅」。言動だけ見ると、「海」と同じ歳頃の女性かもっと歳下かと感じたが、私が見た回が入山さんだったこともあり、母性的な慈愛も感じたので、途中まで「母?姉?幼馴染?」と考えをこねくり回していた。でも、この考えのすべてが正解だったと言えるような設定だったのですっきりした。特に「超」と「紅」の今回のキャスティングは年代も風貌もバラバラな感じがするので、見る役者・見る組み合わせによって感じるものが全然違うのだろうなと思った。

役者の表面上の部分だけ切り取った感想すらも野暮とは書いたが、役者別の感想を少しだけ残します。まずは今回のお目当て、「超」役の石井さん。『ダーウィン・ヤング』の時とはまた少し違ったタイプのインテリっぽさ。『ダーウィン・ヤング』の時にはわからなかったスタイルの良さを、至近距離で見ることができました。ベスト&シャツがよく似合う。そりゃ『スリル・ミー』の彼が見てみたくなってしまう……けど今のところ『SMOKE』と『スリル・ミー』どっちもやった俳優さんはいない。「海」役のLEI'OHさんが、童顔で幼い印象が強かったのもあり、「超」が「海」の鏡というよりかは、超越した存在のほうがしっくりくるぐらい、石井さんの「超」は高圧的で「海」の鎧といった感じがした。「海」役のLEI'OHさんは今回が初めましてで、経歴見る限りは最近ミュージカル界に来た感じがするので、さっそく気になる役者さんになりました……! 3人とも歌が上手いのはそりゃ当たり前っちゃ当たり前なんですが、LEI'OHさんの歌の上手さは所謂シンガー的な要素も感じたので、聞きほれるタイプでした。……という歌の印象もあったせいか、神童なんだろうなという説得力がありました。「紅」役の入山さんも初めましてですが、『サイゴン』『レミゼ』という経歴で納得した安心感がありました。おそらく今回のキャスティングで「紅」の慈愛の説得力を感じられるのは、入山さんだけなのではないでしょうか……見てないのでわかりませんが。

 

『SMOKE』を知ったのは、初演か再演の時だったかと思うのですが、今回ようやく観劇できてよかったなと思いました。先日『リトルバスケ』を観劇したので、2024年のスタートは韓国ミュージカルが続いている。「空想の人物を登場させ、自分を見つめなおす」は韓国ミュージカルの特徴なんでしょうか。SOMLを積極的に再演してるのもあって、韓国では特に共感しやすい要素なんですかね。『SMOKE』も好みの作品ではあったので、今度上演されるときはリピート前提で入りたい!