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wowakaさんとヒトリエに愛を込めて【7】- アンノウン・マザーグース

前回のブログ→【6】HOWLS

THE FIRST TAKEよりヒトリエの「アンノウン・マザーグース」が公開された。

ついにヒトリエが、ファーストテイクアーティストになり、昨日の予告動画から興奮と感動でいっぱいになっている。それと同時に拭いきれない悲しみもある。でも、私個人は興奮と感動のほうが大きいのかもしれない。

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ひとまず、この動画を見て欲しい。

以下は、いちヒトリエのオタクによる思い出語りなので、興味のある方だけでOK。ここで離れてしまう人もいるかもしれないので、先に宣伝だけしておく。

ヒトリエは、9月15日日比谷野音にてワンマンライブを行いますので、ファーストテイクを見て「いいな」と思った人は、ぜひ足を運んで欲しい。

このブログは、ヒトリエ10周年を祝して、私の記憶の財産とともに、CDリリース日などのタイミングで各楽曲の思い出語りをするものです。アンノウン・マザーグースも、動画公開日か『ai/SOlate』のリリース日かで語る予定だったが、今語らねば!と思い、文字を打ち込んでおります。

思い出を徒然なるままに。

 

アンノウン・マザーグースとの思い出

遡ること2016年11月14日。wowakaさんと米津さんが唐突にツイキャスを始めた。あの当時はインスタライブが実装されていなくて、ツイキャスがまだ主流だった。wowakaさんも、米津さんも各々不定期にツイキャスをやっていた。この日はとにかく色々と伝説を残した回だった。(聞きながらメモ書きを残したものはあるが、機会があればどこかのタイミングで書き残したいような…残したくないような…)当時の音源を隠し持ってる人がいたら、私は喉から手が出るぐらいほしい。

この日のツイキャスの米津さんとの会話で、べろんべろんに酔っぱらったwowakaさんが「ボカロ曲作るよ~」と言っていた。この日がはじめてではなかった気がしたが、wowakaさんの久々のボカロ曲が聞けるかもしれない!と明確に思ったのはこの日あたりだった。その後、公式にwowakaさんが、初音ミク10周年アルバムに合わせ*1VOCALOID楽曲の新曲を出すことが発表された。初音ミク10周年の年で、米津さんはマジミラメインテーマに「砂の惑星」を発表したり、時代を作っていったボカロpたちが多数新曲を発表したりで、ひと盛り上がりした年だった。

そして、2017年8月22日17時に「アンノウン・マザーグース」が発表された。

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スマホの通知とともに飛びつき、電車の中で急いでニコニコ動画を開いた。一番は、ニコニコ動画で再びwowakaさんのVOCALOID楽曲の新曲が聞けることに感動した。曲が始まり、最後まで聞いて驚き感動した。かつて、ローリンガールを聞いたときに、それまでJ-POPやジャズクラシックしか聞いてなかった私にとって、音楽の革命が起こったほどに衝撃を受けた時に匹敵するような感覚だった。

馴染みあるモノクロ一枚絵だが、音楽はヒトリエで録音、初音ミクも当時の最新バージョンを使用と土台はかなり新しくなっていた。アンノウン・マザーグースは、ヒトリエの活動と地続きにあるwowakaさんの新曲だった。後にヒトリエでセルフカバーをしたように、ボカロp・wowakaの新曲というより、ヒトリエ・wowakaのボカロ曲と言ったほうが適切であるようだと思っている。

しかし、歌詞だけは「アンハッピーリフレイン」の救済曲と感じるぐらい、wowakaさんの生きてきた道が見えるようだった。アンハッピーリフレイン、アンノウン・マザーグースの間にも、wowakaさんを語る上で欠かせない曲はあるが、ことボカロ曲に限定するのであれば、アンハッピーリフレイン→プリズムキューブ→アンノウン・マザーグースは、ボカロpとして頭角を現したミュージシャン故のの苦悩と葛藤、そして時を経てからの新たな感情の発見を見るようだった。wowakaさんが、この時期によく言っていた言葉を使うのであれば「」だった。そしてこの感情の変化は、同じようにボカロ曲とともに成長し、環境が変わり、ボカロシーンから遠ざかりつつもどこか思い出を振り返りたい、かつてのボカロシーンを見ていたファンやリスナーにも共鳴したのではないかと感じている。

私はこの時期(正確には前作のアルバム『IKI』)からの、wowakaさんの眩しいまでの生き様が好きだった。wowakaさんの、アンノウン・マザーグース当時の思いを載せます。

 

語弊なく補足すると、wowakaという人間の生き方と考え方が好きで、特にこの時期からCoyote Howlingツアーのその日まで、現在進行形で一生懸命生きていく姿が好きだった。苦しいね、過去形。

私が最初にライブでこの曲を聞いたのは、HITORI-ESCAPE "2×3" TOURだった。それから、アンノウン・マザーグースはライブでの定番曲で、それは今日までも続く。あんなにも言葉が詰まってて、高低差が激しい曲を難なく歌えるのはすごいよと、これは現体制になっても思うことだ。Lovelessツアーの時に、はじめてヒトリエのライブで最前のドセンで見る機会に恵まれたが、やっぱりこの曲を歌うwowakaさんは眩しかった。

 

アンノウン・マザーグースに思う

wowakaさん追悼会、三人体制になった最初のライブでもこの曲はあった。「wowakaより愛を込めて」この曲振りが入るようになったのも、このライブからだった。アンノウン・マザーグースは愛の曲だ。愛という感情をこの曲にのせ、誰かと誰か、何かと何かをつなぐ、つなぎ留めたい曲だと思った。かつては、初音ミクと私たち、あるいは初音ミクとwowakaさんだったように、今ではwowakaさんと私たちをつなぎ留めたい曲だ。「わたしはここにいる」と、曲の中で、ライブの中でwowakaさんを忘れたくないのだ。(主語がでかくて申し訳ない。気持ちの問題ですが基本的には「あくまで私としては」です。)……でも、そうやって限定せずとも、もっと広義に、あなたとあなたが大切にしたい人をつなぐ愛の歌として……でも良いのかもしれない。

ファーストテイクでも、欠かさずに「wowakaより愛を込めて」と宣言をし、アンノウン・マザーグースは披露された。wowakaさんを含めた4人のヒトリエによる、愛のこもった楽曲。確かにそこにwowakaさんを存在させてくれてありがとう。やはり、地球上で1番wowakaさんに近い場所は、ヒトリエのライブしかない。既存の音楽とは違って、リアルで演奏されるそこに、wowakaさんを1番に感じる。だから、wowakaさんが1番好きでも、wowakaさんのいないヒトリエから離れることは、この5年間なんとか生きてきて絶対に無かったことだった。

あとは、この3人って必要以上にwowakaさんを語らないんですね。私の感覚ではあるけど、wowakaさんを感動材料に用いることは一切しなかった。wowakaさんの音楽を真っ直ぐに届ける。添える言葉は最低限、あとは音楽で感じ取れば十分伝わる。ありとあらゆる角度から、本当にこの3人がヒトリエで良かったと改めて思った。あの日、ヒトリエとして音楽を奏で続け、wowakaさんの曲に息を吹き込ませ続けることを選んだ3人の偉大さを痛感した。そりゃあ、wowakaさんがいるZepp Hanedaでのワンマン、日比谷野音ワンマン、ファーストテイクがあったらとか、たらればはつきない。でもこれもすべて、あの日ヒトリエを選んだ彼らがいなければ起こらなかったことでもある。

本当にありがとう。最高にカッコよかったです。

普段と何ら変わらない安定感のあるゆーまおさん、冒頭で天を仰ぎ普段よりも声が大きく聞こえるイガラシさん、wowakaさんには無かった人間臭さと泥臭さがどこか私たちに刺さるシノダさん。これが今のヒトリエです。

ファーストテイクは、そのコンテンツの特異さから、ヒトリエを全く知らない人たちの目に触れる貴重な機会。これを機に、たくさんの人がヒトリエを知って、wowakaさんの曲を聞いてくれたら嬉しい。音楽は誰かに奏でられ、誰かに聞かれる限り、ずっと生き続けるから。