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二人芝居「追想曲【カノン】」感想

「舞台上に立つ人間は、少なければ少ないほど良い」という好みがある。単純に少人数芝居が好きという話なのだが、少数精鋭で表現の限界に挑み、超えようとするものに面白さを見出しているのがここ数年続いているのだと思う。とりわけ、二人芝居という謳い文句を見るとあらすじを吟味する前に「見るか」と思ってしまうぐらいには、二人芝居がここ数年で一番好きなのだと思う。

……というわけで、現地観劇できずとも配信があるなら抑えるべきだと直感で判断した『追想曲【カノン】』がとても良かったので、感想を残します。

 

youtu.be

https://toei-stage.jp/twomen-canon/

二人芝居「追想曲【カノン】」

脚本:ほさかよう

演出:松崎史也

 

配信にて東京千秋楽のType-Hを視聴後、これはType-Aも見ねばと思い、大阪千秋楽のType-AとType-Hをそれぞれ視聴しました。

 

物語上の極限状態と二人芝居の緊張感

東京はシアターサンモール、大阪は扇町ミュージアムキューブ CUBE01とどちらも300席以下。舞台上には椅子、机、棚、終盤にのみ登場するピアノ、また天井から床にかけて縄のようなものが、斜めに数個吊るされている。役者は、本田礼生さんと赤澤燈さんによる役替わりスケジュールで、Type-H、Type-Aがという上演。二時間ちょっとで、台詞量も多けりゃアドリブの多いというなかなかハードな上演でした。

役者の力量はもちろんのこと、ほさかようさんの脚本と松崎史也さんの作劇の美しさが見事でした。今や2.5次元舞台が多い印象の御二人ですが、オリジナル作品でこそ光るし面白いと改めて思いました。それと同じぐらい、この規模感だからこそ濃縮された面白さができあがったんだろうなと思いました。私自身、ほさかさんも松崎さんも、全くのオリジナルは本作が初めてで、原作付きもあまり回数を見ていないので、詳しくはないのですが、ほさかさんは退廃的な世界観を得意とされてるイメージ。松崎さんは無駄のない整った舞台演出というイメージ。このイメージどおり且つ、期待以上に心をえぐるお芝居でした。

本編は3部構成で進行。仮タイトルをつけるなら「思い出のレストラン」「最高の終わらせ方」「アルトとヨハン」といった感じでしょうか。この3部はすべて同じ世界上で、時系列を進めながら怒っている出来事。「思い出のレストラン」と「最高の終わらせ方」で見えてきた世界の歪さを、「音楽」という共通事項の下で「アルトとヨハン」のパートでまとめフィナーレを迎えるという、シンプルでありながら秀逸且つ丁寧に作られた構成。とりわけ、「ロボットによる侵攻がはじまった人間社会」であることの提示の仕方が、説明的ではなく、日常会話の切れ端から少しずつ「違和感」を出していく見せ方が上手過ぎてびっくりした。脚本の妙ってこういうところだなあと感心した。

章立てに「極限状態」「緊張感」と並べたて、「シンプル」とも言いましたが、本編の1部、2部は日替わりアドリブ芝居が渋滞するという小劇場的な遊び心が満載でした。大阪千秋楽はちょっと間延びしすぎたかなという感じがありましたが、それでもしっかり軌道修正でき、シリアスな場面に切り替えられる器用さは見事でした。

 

音楽という心

本作を見て真っ先に思い浮かんだのが、AIの一般化による文化芸術面での議論。AIに対しては、AIのデータと人間の知恵と想像で上手くやっていこうよと個人的には思うのですが……数年前に美空ひばりさんのAI歌唱が出たときに嫌悪感を強く覚えて以来、AIの文化芸術面への活用は好まないと思いました。……まあこれも、AIの使い方を選ばない人間に文句を言いたい案件なので、AIが嫌というより人間が嫌という話になるのですが笑

少し逸れましたが、本作のキーとなるのは「音楽」です。「ロボットによる侵攻がはじまった人間社会」で、侵攻により亡くなった人間から記憶データを回収するロボットが理解できなかったものが「音楽」である。人間への理解へと踏み込みたいロボット(間違ってるかもしれません)が、「音楽」が与える人間への感情変化こそが、人間への理解へとつながると思い至り1対1で話す場面となるのが最後の「アルトとヨハン」のパートです。しかし、その場面に至るまでの数百日間には、「音楽家たちによる反戦のデモ」などがあり、ヨハンはロボットのアルトに対し「後の祭りだ」と一蹴する。先日とある勉強会に参加した際に、クラシック専攻の先生が「音楽はその時代を写す」といった内容で、第一次世界大戦期の音楽の特徴を紹介してくださいました。音楽が政治を語る時代は、第一次世界大戦あたりを最後に終わってしまい、今やヒーリング音楽しかないという風にも言っていたり……つまり、人間が奏でる音楽には、主義主張があったり、感情の発露があったり、言語を越えた訴えがあること。音楽に限らず創作物のほとんどがこれにあてはまりますが、「言語を越えた訴え」という点ではやはり音楽が一番強いのだろうなと感じます。だから、時に音楽は「洗脳」にもなるのだろうなと思うのですが……(脱線)

話を戻します。アルトは音楽が人間にどのような影響を与えるかを知るために、ヨハンと兄の関係に踏み込み、その過程ですべての人間の音楽にまつわる感情データを参照した結果、シンギュラリティのようなものを起こす……まさに「言語を越えた訴え」をさらに越え、ロボットの心にも響かせるものへと辿り着いた瞬間。しかし、アルトはロボットとしての限界を超え壊れてしまう。最後は、アルトによって兄との確執の真実を知ったヨハンが、アルトのために鎮魂歌のような音楽を奏でる。ヨハンもまた、アルトとの出会いによって感情を動かされ、再び音楽を奏でた。この後、ロボットと人間の決着があったかは語られていないが、ヨハンの音楽が、人間の心に限りなく近づいたアルトを弔うような音楽であり、これまでに散っていった人間たちへ贈る音楽のようでもあった。……ありきたりな感じもするが、詰まるところ、共生への希望だなと。最初に挙げたAIでも、人間同士であっても。

音楽とは、主義主張であり、感情の発露であったりするから、聞き手にとっての共感や共鳴を生む。だから、AI音楽に嫌悪感ないし違和感を覚えるわけで、表面的な美しさを生み出せたとしても、それ以上のものは得られないのだろうなと思う。作中に「人間だから忘れたり、思い出したりする」という台詞があり、音楽をきっかけに過去の出来事を思い出す場面がある。作家にとっては、音楽を作るに至った思い出があり、聞き手にとっては、その音楽にまつわる思い出がある。だから、音楽番組はくどいぐらいに過去ヒット曲特集を組んだり、ベストアルバムを出す習慣があったりするんだろうな、と。きっとこの『カノン』のメインテーマはいつか忘れるが、ふと流れたときに一気にこの時の感想が思い出されるのだと思う。

 

相性の良いペア「本田&赤澤」

前作からこの二人による舞台はあるようですが、私は本作が初見だったので、この二人の共演は初めて見ました。ものすごくバランスのいい二人だなという印象を持ちました。見る前はどちらとも「動の役者」なイメージがあったので、ぶつからないかなと思っていたのですが……「動の役者」でも性質が違ったというのが感覚として近いか……本田さんは身体表現がスキルフルなのも相まって、芝居も癖が強い。個人的にはアニックの癖の強さが好きすぎる。赤澤さんは浮世離れさと落ち着きを兼ね備えた印象で、癖の強い本田さんに対して、ブレーキングの芝居をしている感じ。なので、お互いの持ち味を生かしつつ、ぶつかり合わないので、役替わりしても見やすい。同じ役でも印象が違い過ぎないのも魅力的で、大きく作品解釈が変わることはなかったのも良いポイントでした。

二人共巧いな〜と思ったのがヨハンの老け芝居。赤澤さんは足の悪いヨハンという見た目の設定で、背は自然と曲がり、腰のかけ方もゆっくり。何よりすごいと思ったのが、頬が落ちてるように見えてるところ。声の出し方も喋り方も、アルトを演じているほうと比べたらは想像がつかない落ち着き様でした。本田さんのヨハンは、すっごい身近にいるタイプの老人で……「あ、このじいさんとは喋りたくないな」と感じる冷たさがリアルでした。本田さんの運動神経の良さか身体の使い方をよく分かっているので、足の引き摺り方が老人のそれですごかったです。

 

気になること

最後に数回通しで見て思ったことですが、爆撃のことを「花火」と表現しているのは何だろうと思いました。最初は、打ち上げ花火を連想させるミスリード的なものかと思ってましたが、レストランの場面で「昼の花火はただ眩しいだけ」とも言っていたり、「星空の中のいるみたい」と皮肉めいたり……昼に眩しいだけと言われると、原爆を連想してしまうんだよなあと思ったり、少し気になりました。

 

本田さん赤澤さんによるオリジナル演劇は今後も展開されていくのか、楽しみが増えました! 梅津さんと橋本さんの「言式」もですが、若手俳優によるオリジナル演劇企画っていいな〜!と思いました!

 

6/17までBlu-rayの受注生産を行なっているようです!

www.toei-onlinestore.com