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ミュージカル『スリル・ミー』2023年版 感想

先日あげた2023年版『スリル・ミー』の総括はこちら

charmy-coroge.hatenablog.com

今回は各ペアの印象や細かい演出などのまとめになります。

やはりスリルミーを見たからというものの、これをまとめなければ禁じられた森に迷ったままなのでね! 

総括とは違ってオタクの愉快な文章になります。品性を保ち、言葉に気をつけます笑

 

https://horipro-stage.jp/stage/thrillme2023/

https://natalie.mu/stage/news/540756

ミュージカル『スリル・ミー』

原作・音楽・脚本:Stephen Dolginoff

翻訳・訳詞:松田直行

演出:栗山民也

東京公演(東京芸術劇場シアターウエスト)と愛知公演(ウインクあいち 大ホール)、配信にて全ペア観劇・視聴。

 

※当然ですが、ネタバレを含みます。

※「本作は史実を元にしたフィクションである」という認識ですが、日本版の抽象度の高さによる演出から「特段史実と照らし合わせながら鑑賞することに限定しない」が当方のスタンスです。

※また、当たり前ではありますが「あくまで舞台オタク一個人の感想にすぎない」ものになります。

 

東京公演での1回目観劇後のポストツリー

 

初見後には初見後にしかない感想ってのがあると思うので、すぐにアウトプットして良かったと思う。やっぱり後から考えたり、人の感想を見たりすると、どんどんフィルターが増えてしまうのでね。あと、東京、愛知、配信と演技プランもだいぶ変わってるなという感触もあるので、これから各ペアでまとめるものは、すべての媒体を経たまとめ感想になります。

 

各ペアの印象に入る前に演出やピアノの印象をば。

 

演出について

スリルミーって、役者の動きや照明って、どのペアになろうと絶対に変わらないって印象があったんですけど、照明が21年のものと確実に違う箇所があってびっくりしました。

①「Life Plus 99 Years」での「彼」が階段を上がっていった先の扉奥が青照明  

→21年までは赤照明*1

②ラストシーン、彼の写真で出てくる「彼」の背景が白照明  

→21年までは青照明

②についてソースはないんですが、印象的な場面なのでよく覚えています。悪くないけど、正面から見ると眩しすぎる!笑 あえてなのか!?

①については赤照明だと、どんでん返し感が強く感じて個人的に好きではあるんですが、青にすると、「Way Too Far」と同一なので、戻れないこと≒離れられないになりそうな気がしますね。

また、これは今年の観劇で印象に残って、今まであった?と思ったところなんですが……「誰がそれを決める」「誰もが、社会が」の場面で、「彼」が「私」に詰め寄る影の背景が、照明の当て方によって、彼の圧の存在感が強くなるような演出。 これ今までもあったのかな?

 

ピアニストについて

スリルミーは今回で3シーズン目になるんですが、今回で初めて落合さんのピアノを現地で聞けました。それまで、朴さんと篠塚さんの対極な印象で馴染んでいたので、落合さんはどちらかの系統に寄るのだろうか……と思っていました。いやはや、まさかの三者三様とは。幼少よりそれなりにピアノ音楽は近くにあったのですが、こんなにも弾き手によって印象が変わるんだと驚かされたのは久々。

そして、各ペアの空気感にもマッチしているんですよね。 役者の芝居だけじゃなく、ピアニストも含めての作品解釈なんだなと思いました。

 

個人的な各ピアニストの印象

朴勝哲さん(尾上廣瀬ペア)…のような一音目。日本版スリルミーといえばといった印象もある。静まり返った客席に、一音目が鳴り響き客席照明が落ちるあの瞬間で一気に客席がスリルミーの世界に取り込まれた感じがたまらない。音が強め且つスピードも速め。

落合崇史さん(木村前田ペア)…のような一音目。音は強めなんだけど、朴さんが上からドンとくる感じなら、落合さんは正面からガシッ来る感じ。言葉じゃ形容し難いので今すぐ聞いてください笑 

篠塚祐伴さん(松岡山崎ペア)…のような一音目。朴さん、落合さんとはかなり印象が違う。良い意味でピアノ音の印象が強すぎず、劇伴として心地良い。芝居のスピードは3ペアの中では1番早いのに、ピアノのスピード感はそこまで速くないという謎現象。

 

さてここからが各ペアの印象になります。すでに個人の感想文で進めてますけど、再度強めに言いますね。

あくまで、私が見た回と配信による私の感想です!

 

尾上松也(私)×廣瀬友祐(彼)

youtu.be

「奇妙な鳥が2羽、鳥籠の中で飼われてるみたいにね。もう離れられない」

初見時に「怖い、不気味、奇妙」の3拍子を感じ、このペアの前に観劇したのが、21年でも観劇した松岡山崎ペアだったがために、私の知らないスリルミーだと震えた。とにかく、怖いという印象が強かったので、2回目はいいかなとすら思った……ところがどっこい。2回目の観劇以降、「この「彼」が今季のスリルミーで1番紳士的な優しさを持っているのではないか?」という不可思議現象が起こった。さらには、初見時には全く思わなかった「にろまり(田代新納ペア)の系統*2ではないか?」という心変わりすらした。

廣瀬彼の不気味さは芸術的だったと振り返る。まずその出で立ち。西洋人の着こなしのようなスリーピーススーツの似合い様と、その体格から圧倒される威圧感。感情の読めない表情の無さを引き立てる、まばたきの少なさ。もはや、まばたきをしてないんじゃないかというぐらい。廣瀬彼が、尾上私に詰め寄るたびに、尾上私は後ずさってた。それぐらいの物的圧迫感があった。他ペアはあまり後退りが無かった気がする。ちゃんと前半の支配関係が、彼>私だった。極め付けは自動音声のような台詞回し。これが特に怖かった。 多分観劇した人ならわかると思うんだけど、「わかっ“た”」とか「10歳ぐらいの子供を狙“おう?”」とか急に語尾が不安定になる。怖い。 しかし、先述の「紳士的な優しさを持ち合わせているんじゃないか?」と感じる要素に、護送車の場面でのどんでん返しでの「イカれてる」と言い零す場面。他ペアが抜け殻のようになるのに対し、廣瀬彼は今まで見なかったような優しい顔をしていたんですよね。正直ここは私の先入観が強すぎる印象かもしれないけど、諦めたような笑みの中に「そんな「私」をも受容する優しさ」という感じがあった。

廣瀬彼の感情の読めない不気味さや怖さがあるからこそ、尾上私が粘着質に彼にしがみついているのが、より奇妙さに拍車をかけていた。端的に言うと「あの彼のどこがいいの?」です。廣瀬さんの西洋人のような体格と彫り深めなお顔に対しての、御本人のお家柄が説得力を増す日本画のような美人タイプの松也さん。改めて並ぶと絵になるなあと思いました。……そういう対極的な部分はあれど、松也さんも分厚めな体格なのでアンバランスではなかったし、何より今季ペアの中では、1番ミュージカルしてて良かった。

開幕前インタビューでもお話があったように、今季はこのペアだけが昭和生まれというのもあり*3、アダルトな空気感はもちろんのこと、スリルミーの解釈としても「「彼」が道を間違えたことによって、「私」も道を間違えてしまった」というような、より受動的な「私」という感じがした。……だから、にろまりの系統か?と思ったところではあるのだけれど。

 

木村達成(私)×前田公輝(彼)

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「彼の……“友情”が必要でしたから」

巷で「マキマさん」「支配の悪魔に取り憑かれた」*4という感想を見かけた、まさに「令和版スリルミーの爆誕」ペア。いや〜〜〜!キモかったね達成!!(とてもすっごく褒めてます)(某テニスの頃から知ってる故に謎の親近感)

ストプレ寄りなナチュラルなテンポ感と、ほぼ同じ身長差ゆえの対等な力関係で、陽キャの親友同士といった空気感。互いに信頼し合ってる中での、「私」の「彼」への惚れ込み様が道を外してしまい、「私」が「彼」を打ち負かしてしまった感じがした。実は尾上廣瀬ペアの初見時に、あまりの不気味さに「同情の余地を一切排除した解釈」という感想を得たのだが(この感想は後からの観劇で変わってったので省略)、木村前田ペアに関しては「彼の打ち負かされ様に、思わず同情してしまう」という、私個人としてはあんまり持ちたくないタイプの感想を持ってしまった。

前田彼は、はじめからどこか壊れていた。スリルミーにおける「彼」というキャラクターを語るにあたって、負の感情の起点が父親にあるのか、弟にあるのか、社会にあるのかという解釈のポイントがあると思う。こと前田彼に関しては、負の感情が自分に向いていて自暴自棄さが強く感じた。これも令和版スリルミーと感じる所以か……ちょっとメンヘラっぽいなと思うところがちょいちょいあった笑 多分前田さんの独特な間の取り方の台詞の言い方とか、笑いながらキレてるところとか……先述したとおり、この「彼」も最後のギリギリまで「私」のことを信頼していたように見えたので、護送車の場面で、ニチャニチャと笑いながら「僕のものだ」と言う「私」には酷く裏切られ、心が折られてしまったような表情をしていたのが印象的だった。

さて、色々と話を挟んでしまったが木村私の「マキマさん」「支配の悪魔に取り憑かれた」「キモい(賞賛)」についてですが……特に名古屋公演で見た印象にて語ります。木村私は、前田彼に触れられたり、話しかけられたりするだけでメロメロしていたんだ。「私」の策が見え隠れする脅迫状場面での「ああ、完璧だ」あたりからは、目がかっ開いている。そっから「Keep Your Deal with Me」〜「Afraid」〜「Life Plus 99 Years」は……あれはどうしてそうなった……!? 私はオペラを向けながら震えていました。えっと、後世のオタクのためにも、なるべく事実だけを書くと……

・「Keep Your Deal with Me」の「守り続ける2人〜♪」で正面を向く時、つまり「彼」と顔を合わせてないタイミングの「私」は、目をかっ開いてた。あれを笑みというのかは人によると思うが、私的には「やってやったぜ」みたいな顔に見えた。その直前のレイレイ言われてるところでは、「私」がしんどそうな顔をしてるだけあって本当に怖い。

・「Afraid」は常に客席側に顔を向け、またも目をかっ開き、「彼」の恐怖心のボルテージが上がるにつれて口角が上がっていき、「彼」の「死にたくない」で声をあげて笑うように口を開いていた。

・護送車の場面での「わかってただろ」が「わぁかってただろお〜」って感じ。木村私で1、2を争うぐらいの印象的な台詞。

・同場面、とにかく自分の手中に「彼」を置いておけることが決まったこと、心底嬉しそうな、覚醒をしているような「私」

私が印象に残っている辺りでもこんな感じ。

お分かりいただけただろうか、「なんで笑ってんの……?」具合が。似た印象だと成河私になるのだろうか……でもあれとはまた違うんですよね、当たり前ですけど。

また53歳の「私」もまた、彼と一緒にいた時間から時が止まってしまっているようで、ずっと心ここにあらず。これは私のスリルミーの解釈の一つですが、本編は「私」の記憶の中を映す「彼」だからこそ、「彼」はどこか人らしからぬ感じ(超人の意味ではなく「何も感じないんだ」感)つまり、「私」の記憶の解像度による「彼」というのがあります。この解釈でいくと、木村私は、彼といた時間でずっと止まっているからこそ、記憶の中の「彼」もずっと解像度が良くて、より感情的で人間味のある「彼」だと感じた。だからでしょうか、木村私で印象的だったのが、「自由」と言われた後、手を解くときに、手から顔ごと目を背け、目を強く瞑っていたんですね。まるで、「彼」から離れることを拒むように……

重い感じの記憶が続いたので、思い出したかのように最後付け加えると、最初の公園の場面でのキスシーン。あんな意地悪そうなソフトタッチチューから入った「彼」も一生忘れない……

 

松岡広大(私)×山崎大輝(彼)

youtu.be

「さあ、いいか。僕たち2人、共犯者」

あたしねえ、ヤマコーが大好きだよ。

ああもう早くも特別感情が……笑 しかし、東京で見る前まではそこまで特別感情でもなく、21年に見た時はおそらく伝説(田代新納)と親(成河福士)が強かったゆえに、今ほど私は特別に語っていなかった気がする。結果、23年でこんなにヤマコーヤマコー言うとは思わなかった。

何がそんなにヤマコーが良いのだろうかと振り返った。 多分、スリルミーの解釈が1番近いと感じているところなのだと思う。 加えて、未だ健在の若さの説得力によるヒヤヒヤ感が好きなんだと思う。若さによる危なっかしさも、今年は計算された洗練された芝居作りでよかった。 (もはや他ペアの語りと違うのが松岡山崎とは言わずにヤマコーと言ってしまっているところ)(本人らがそう言っているからね)

さてそんなヤマコーですが、今回特に「原作脚本を読み込んだ」んじゃないかと感じるような空気感がありました。なぞってるとかそのままではないので、詳しく比較はしませんが……原作脚本はゲイカップル的描写がある反面、小生意気感の残る優等生のバチバチとした会話の空気感があると思うので、この辺りを上手く落とし込んでるのでは?と思いました。 木村前田ペアが自然な会話のテンポ感なら、松岡山崎ペアは優等生同士の早口会話という感じ。配信で計測していた方もいたけど、ヤマコーが1番上演時間が短いんですね。上演時間が短いなら、キスも短い。その辺のちょっとぎこちない感じもこのペアならでは。

松岡私がずっと煽るような態度で山崎彼に対峙し(これが面白いのが、どう見ても煽ってるのに、動じない「彼」という図になっているところ)、山崎彼はそんな松岡私を時々鼻で笑い、結局「私」が「彼」の行く末に丸め込まれ、それらが愚かしい選択や道のりとして際立つようで、スリルミーにおける「愚かしさが一周回って喜劇となる」の域に近いものを感じた。

ソースが出せないのだが、諸外国でのスリルミーでは、日本の静まり返ったスリルミーとは違い、所々で笑いが起こるというのを見かけたことがある。 そんな楽しみ方してていいのか?と思わんでもないのだが、ヤマコー見てる時の私、めちゃくちゃ笑っていた。ヤマコー好きならわかっていただけると思うのだが、「3時だよねぇ?約束は」→「ニー↑チェ!?(クソデカ声)」→「聞い〜たよ、君の弟、アアッ!(地雷踏んだか!?)からね〜♪」の3段階で最初の場面から癖が強すぎて好きすぎる。

しかし当たり前だが笑ってばかりではない。松岡私の「Way Too Far」の喪失感には配信で表情をまじまじと見て感動した。「いつまでも2人、永遠の時間」で若き日の美しい記憶を思い出し、それらが戻れない道であることを再確認し、一気喪失感へと沈み「そう、信じて、た」と語りに戻る。松岡さんの大きな目に光をいっぱいに宿した後の、真っ黒に目の色が変わるようなあの瞬間が素晴らしかった。松岡私の「Way Too Far」の一部始終はダイジェストに残されているので、本当にありがたいのである。

例えば、前田彼の負の感情が自分、廣瀬彼は父親や社会など自分よりも大きな存在に負の感情が向くとするなら、山崎彼は弟という感じがした。というのも、山崎彼のスーツに着せられてる感と、一生懸命何者かになろうとする、超人になろうとする感じが、弟のが優れているからこその虚勢という感じに見えてならなかった。あと先述したとおり、「聞いたよ君の弟、からね」で「彼」が弟というワードに反応して「私」が反応し返すのは、このペアだけである。「彼」が強くあるためには、古くからの付き合いで“同い年の天才”である「私」が必要であった。天才と言われている「私」にずっと付き合ってくれたのが「彼」だった。だから2人は共犯者になってしまった。という、どうしてこうなったと思わずにはいられない虚しさ。人の感想見かけたワードだが、ジュブナイルの成れの果てというのが悲しくも合致してしまった感じ。 ……だからこそではあるのだが、正直、99年の場面で、例えば木村前田ペアだと(「私」の独占欲で一緒にはいると思うが)心の修復が不可能に見えるが、ヤマコーペアだと、なんだかんだ一緒にいるし、普通に会話するし、普通に元通りにすらなってそう笑(余韻ぶち壊し感想)

あとこれも後世のオタクのためにも言い残したいのだが、脅迫状の場面で、眼鏡を失くした「私」に「彼」が目の前に脅迫状を持ってきて見せる場面。あんまりにも「彼」が「私」の眼前に持ってきたがために、あからさまに「私」が目を細めていた。そりゃあもう「見えねえ」と言わんばかりの顰めっ面。ほんと面白いヤマコー。スマートさが存在しない「彼」、ときめかない「私」、それがヤマコー。

しかし!しかし!ラストシーン、彼の写真として出てくる「彼」の最後の一言「レイ」があんまりにもカッコよかったことも、後世のオタクに伝えます。

本人らも向こう数年スリルミーをやる気満々だし、元々第二の松下柿澤ペアみたいな始まりだったわけだから、また再演されるペアだろうと踏んでいる。新たな可能性を1番感じるのもヤマコーの面白さである、それは決して彼らが若いからと集約されるものではなく、スリルミーをより深めようという気概を感じるからだ。楽しみにしているぞ。

 

最後に

前のブログで「愛の物語」を第一に受け取れなかったと書いたのだが、今回のスリルミーで、強く感じたのが「「私」のあやまちによる、「私」のあやまちの振り返り」と言ったところだろうか。三者三様の「私」による、どのタイミングで「彼」を自分のものにすると決め殺人を止めないとしたか、どのように罪を捉えと罰を受けようとしたか、そしてどのように「彼」とのあやまちを語るか、という「私」のあやまちの物語の色を1番に感じた。 やはり、史実の殺人が関わっている以上、愛という美しい額縁に入れたくない感情が先行しているからの感覚なのかもしれない。しかし、愛を必要としていた彼らがいたことも、事実であったのだろうから、少なくともスリルミーという戯曲における、「私」が「彼」をどう見ていたかには重きを置きたいと感じた。

 

……ようやく私もこれで禁じられた森から抜け出せそうだ……いや抜け出せるのかはわからないが笑 またミュージカル『スリル・ミー』に浸れる日を待ち侘びて。

 

最後の最後に教訓。「いち早く東京公演を見たいから、1日に3ペア見れる日にまとめて見て日帰りで帰ろ!」と画策しているオタクへ……「やめとけ」経験済みの私より。