noteのほうで東映特撮の雑記を上げることが続いているんですが、今年2025年は『仮面ライダークウガ』25周年なので、久々にクウガ熱が上がりました。そんなタイミングで、『マリー・キュリー』を葛山信吾さんのピエールで観劇できて良かったですね。かなり前のタイミングでチケットを確保しましたが、ピエールのWキャストは迷った上の選択だったので、今回は葛山さんを選んで正解でした。もちろん松下さんも見たかったんですがね……!
https://natalie.mu/stage/news/645779
https://mariecurie-musical.jp
ミュージカル『マリー・キュリー』
脚本:チョン・セウン
作曲:チェ・ジョンユン
演出:鈴木裕美
翻訳・訳詞:高橋亜子
シアタードラマシティで観劇。好きな劇場なんですが、前に座高の高い方が座っていたので、ある位置が全く見えないという悲しみ。Wキャストは、マリー:星風まどかさん、アンヌ:石田ニコルさん、ピエール:葛山信吾さん、ルーベン:雷太さんで見ました。
私が誰かではなく、私が何をしたかを見て
ミュージカル『マリー・キュリー』素晴らしかったです。今年見たミュージカル作品で感じた歯痒さを、物の見事に吹き飛ばしてくれた、そんな爽快感がありました。初演時に評判の良さを耳にしていたので、期待は十分でしたが期待以上の満足感がありました。 『ある男』を観劇した際に、「アイデンティティとは何か」という個人と社会のギャップや対立を、3時間の舞台作品で出すアンサーが、「家族愛」「夫婦愛」で覆いかぶされた作劇に疑問を持ちました。取り上げた題材に対して、真摯に向き合っていないと思ったんですよね。雑に言って仕舞うと「差別や偏見、社会的ハンデやギャップに傷つきましたが、家族の愛がそれを乗り換えました!」みたいな雰囲気を感じるものが『ある男』に限らずあって、それを見るたびに「また愛の力ですか……」とやや冷めた感情すら起こりました。『マリー・キュリー』もマリーが科学者として生きていくために欠かせなかったのは、夫のピエールや、本作でのフィクションキャラクター・アンヌという親しき友の支えや励ましがあってこそでした。しかし、彼女がどんな逆境も乗り越えた最大の原動力は、自身の飽くなき知的好奇心や探求心にこそあったことです。それは本作の彼女が、ポーランドからの列車に乗る目を輝かせた若き時代から大切にしていたアイデンティティとも言える部分で、史実のマリー・キュリーの偉業も讃える部分でもあると思います。これが『マリー・キュリー』を見て一番に感動した部分です。ありふれた抽象的な「愛の形」で覆いかぶさず、マリーが成し遂げたかったこと、やり遂げたことを(負の結果も抑えてことも含め)きちんと描いたことがとても良かったです。まさに「私が誰かではなく、私が何をしたかを見て」は本作を象徴する言葉でした。また、フィクションの織り交ぜ方や、重くなりすぎないミュージカルだからできる軽快さのバランスも良く、またマリー人生を通して「多くの逆境に立ち向かう人がいること」を見せたのも良かったなと思うポイントなので、ひたすらによく出来たミュージカル作品だと思いました。
理想的な女女ミュージカルだった
カーテンコールの登場が、ルーベン→ピエール→アンヌ→マリーであったことに拍手大喝采でした。キャストクレジットはマリーの次にピエールだったので、不意打ちでした。でもあの話を見たら、マリーとアンヌなんですよね。だいぶ前のTwitter界隈で、男男ミュージカルが印象的なのは『スリルミー』や『フランケン』があるけど、女女ミュージカルってあまり無いよねみたいな話を見かけ、『MA』や『レベッカ』は部分的にそうだけど、『スリルミー』や『フランケン』ほどのものはあまりないかなと思っており、女女ミュージカルでもそういう、「女と女が互いの人生を影響し合って、強い絆でつながりあう」みたいな作品が無いかなと思っていました。それでいて、男性同士や男女とは違う絆の在り方があるはずとも思っていたので、『マリー・キュリー』における、マリーとアンヌの見せ方は私的にジャストでした。初代プリキュアのような、快活で陽のオーラ溢れ人の輪の中にいる人と、物静かな一人好きに見えて熱いものを秘める科学者というニコイチ。列車での出会いや、マリーの誕生日に駆けつけるアンヌや、屋上での感情の爆発、最後の手紙。マリーとアンヌのストーリーは、始めから終わりまで特に丁寧でした。且つアンヌという存在がフィクションだからこそ、史実のマリーに対して現代人の我々の一種の願いみたいな存在にも思えました。屋上でのアンヌの「あなたはラジウムじゃない」という叫びも、作中におけるマリーがラジウムに対して堂々巡りになる様子への歯止めでもあり、マリーは「ラジウム」の代名詞ではないとマリーだけではない広い範囲に訴えかけるものでもあったのが印象的でした。
私が見たペアは、星風まどかさんのマリー、石田ニコルさんのアンヌでした。星風さんは宝塚時代からいくつか見ていますが、良い意味でクセや派手さが無い分フラットにその役が見れて(もちろん真ん中としての華は抜群)、尚且つお芝居歌ダンスが全部バランスが良いので、ミュージカル作品のそのキャラクターのそのものの良さが感じられて良い役者さんだなと改めて思いました。あと、老け芝居も上手いんだなと今回知れて良かったです。冒頭の晩年の姿から、若い時代に場面が変わる瞬間の変わり様には驚きました。石田ニコルさんは、『薔薇とサムライ2』のロザリオがかなり好きで、石田さんご本人の持ち味なのか内側から溢れんばかりの強気パワーがお芝居や歌から感じられて、それがかなり好みなタイプです。今回のアンヌの役柄ともぴったりでいいなと思いました。あとパンフを読んで驚いたのが、石田さんの大学の専攻が放射能関係という…専攻した理由も含め、また一つ素敵だと思う部分が増えました。所謂、石田さんがどちらかと言うとアーティスティックな歌唱タイプで、タカラジェンヌらしい歌唱の星風さんとの歌の相性はどうだろうと思ったんですが、こちらは杞憂でした。お芝居の波長も正反対に聞こえる声質もバランスが良かったなという感じがありました。二人とも好きですね~~!!
マリーを取り巻く対照的な二人の男性
話の構造でピエールとルーベンという、マリーの出世に欠かせない対照的な男性の構造が面白かったですね。「あなたは何故科学をやっているんですか?」がはじめから嫌味ではなかった、あまりにも人間が出来すぎている科学者であり、マリーの夫のピエール。マリーの知的好奇心に興味を持つも、それは資本主義的な消費なのか、あるいは神の視点のような審判なのか、良い人に見えて怖い人でもあったルーベン。ルーベンは、マリーと会話しない場面でも、ショーアップスタイルなシルクハットにスーツを着て、高いところから監視するように立っているのが印象的でした。はたまたピエールは、事故死のあとマリーの実験室で、マリーだけに見える亡霊のように現れ彼女を慰める姿がありました。ピエールの場面、ズルかったなあ。なんていうか、あれほどクサイ場面無いと思うんですけど、アンヌというキャラクターと同じで、あの場面ってある種「こうであってほしい」という願いみたいな場面で、その場面があって良かったなと思いました。……また、ピエールの葛山さんがこの場面特に良かったんですよ。実際のマリーとピエールの歳の差よりも、役者の歳の差はかなり離れていますが、芝居のバランス的にはマリーとピエールの歳の差感というか、マリーのこの気性には、葛山さんのピエールの落ち着いた包容力がちょうどいいという感じがありました。泣き崩れるマリーを何度も何度も優しく「マリー」と言うのが、優しく温かくて悲しかった。葛山さん、ミュージカルがご無沙汰とのことですが、全然その雰囲気を感じさせないお歌の安定感があったので、またミュージカルでも見てみたいと思いました。そして、ルーベンの雷太さんですが、本当に雷太さんという役者の土台の安定感とエンターテイナー的華やかさと怪しさは唯一無二だと思っているので、今回のルーベンというどこか人間味のない役どころはとってもハマっていたなと思いました。所々はいるダンスが素敵でしたし、ここぞというところで本当に怖かったので、緩急が絶妙すぎると思いました。またそんなルーベンの神の視点のような審判と感じるポジションが、最後にラジウムの行く先には原子爆弾があり、原子爆弾を想起させるきのこ雲を背景に立っているのが、本作の肝だなとも思いました。2025年冬にこの演出を入れたことに拍手。
演出についても触れたいんですが、どこが韓国オリジナルか、どこが日本上演からの演出かが分かりかねたので、韓国版も調べてみようかなと思います。今回日本版の演出、鈴木さんの作品は私はおそらく初めてだったんですが、視線もあっちこっちすることなく、全体的にとても見やすかったので他の作品も見てみたいなあとも思いました。
マリー・キュリーという人物は、小学生のころに伝記漫画で読んだときの記憶しかないので、ふんわりとしか記憶になかったのですが、ふんわりとした記憶でも、こういう雰囲気の人物だったなというものはそのままだったので、私にもギリ教養があって良かった笑 ただその時に読んだ伝記漫画は古く、タイトルが『キュリー夫人』だったので、受賞の場面は心が苦しくなりました。ミュージカル『マリー・キュリー』を通して、彼女の名前のままにフィクションとしての彼女の人生を見て知り、実際の人物の歴史的な成果、それに伴う現在の課題を見つめていきたいと思いました。舞台作品から得るものはたくさんあるなぁ。